夢か現かー、悪夢か吉夢かー、
フィクションかノンフィクションかー?
英国アカデミー賞 最優秀撮影賞受賞(1977)
オーストラリアの名匠ピーター・ウィアーが1975年に発表した『ピクニック at ハンギング・ロック』が2024年5月3日(金・祝)に、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次ロードショーされる。日本劇場初公開より約40年の月日を経て4K レストア版で美しく蘇る。
この度、公開決定に合わせてポスターヴィジュアルと予告編が解禁された。
純白なワンピースに身を包み、ピクニックを楽しむ少女たち。その穏やかな印象とは裏腹に、コピーには「ある晴れたバレンタインの日に、彼女たちは姿を消した――」と不穏なキャッチコピーが差し込まれている。
本作は、1967年に発表された同名小説を基に映画化。当時批評家や観客に大きな混乱をもたらした衝撃作でありつつ、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』に直接的な影響を与え、ファッション界ではラフ・シモンズやアレキサンダー・マックイーンもインスピレーション源として本作に言及するなど、今日まで広く語り継がれる「神話的傑作」である。
本作でその名を世界に知らしめたピーター・ウィアーは、メル・ギブソン、ジョージ・ミラーと並び、「オーストラリア・ニューウェイヴ」を代表する監督となった。
『ピクニック at ハンギング・ロック 4Kレストア版』予告編
予告編では、レナ・ダナム、クロエ・セヴィニーなどが本作からの影響を語り、「美しい少女たちの失踪とともに、完璧な世界に亀裂が走る。コルセットのように西洋的な文化で締めつけても、オーストラリアの自然は野生で対抗し、彼らの大事なものを奪い去っていく。靴を脱いだ少女たちは素足でどこに行ったのか。抑圧からの解放、逸脱、叛逆、官能、自由の気配。危険で耽美的な物語の向こう側に、今の私たちは何を読み取るだろうか。」とコラムニスト・山崎まどかのコメントも映し出される。
見事、英国アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞した映像は、純白のイメージに満ちたあえかな少女の煌びやかさ、ミステリアスなハンギング・ロックの対比を大胆に、そして繊細に描き出している。
美しさの中に垣間見えるどこか不気味な不穏さ…観るものの興味を誘う予告編となった。
STORY
ある晴れたバレンタインの日に、彼女たちは姿を消した――
1900年、2月14日。セイント・バレンタイン・デイ、寄宿制女子学校アップルヤード・カレッジの生徒が、二人の教師とともに岩山ハンギング・ロックに出かけた。
規律正しい生活を送ることを余儀なくされる生徒たちにとってこのピクニックは束の間の息抜きとなり、生徒皆が待ち望んでいたものだった。
岩山では、磁力の影響からか教師たちの時計が12時ちょうどで止まってしまう不思議な現象が起こる。
マリオン、ミランダ、アーマ、イディスの4人は、岩の数値を調べると言い岩山へ登り始めるが、イディスは途中で怖くなり悲鳴を上げて逃げ帰る。
その後、岩に登った3人と教師マクロウが、忽然と姿を消してしまう…。
ディレクターズ・カット版/4Kレストア版について
1975年に製作され、日本では1986年に劇場公開された映画はオリジナルの116分版に満足していなかったピーター・ウィアー監督が公開から20年以上を経て、自身の手で再編集した107分のディレクターズ・カット版を制作した。
オリジナル・ネガフィルムはオーストラリア国立映像音響資料館に保存されており、ピーター・ウィアー監督とラッセル・ボイド撮影監督の監修のもと4Kスキャンによる修復が行われた。
PROFILE
監督 ピーター・ウィアー
1944年8月21日シドニー生まれ。シドニー大学の芸術・法律コースに学ぶも、中退。ヨーロッパ行きの客船にて、船のTVスタジオを借り、ショー番組を作り大ウケしたところからショービジネス界に入ることを決意。67年にシドニーのテレビ局ATNに小道具係として入社し、いくつかの短篇を作る。2年後に昇給を認められなかったため辞職し、ドキュメンタリー映画の製作会社に勤務。そこでオムニバス作品の一編を演出し、注目を集める。71年に50分のブラック・コメディ『Homesdale』を撮り、これがオーストラリアン・フィルム・インスチチュート賞のグランプリを獲得。その後、休職し、ヨーロッパと中東を旅し、そこでの経験が映画作りのヒントとなる。
73年にフランスに旅行したときに浮かんだアイデアをもとに、初の長編劇映画『キラーカーズ/パリを食べた車』でオーストラリア陸軍内部を描く。その後、『ピクニックat ハンギング・ロック』の監督に起用され、オーストラリア国内で大ヒットを記録。その後は77年にリチャード・チェンバレン主演の『ザ・ラスト・ウェーブ』、81年には、メル・ギブソンを主演に迎え、第一次大戦に出征した青年たちの描いた『誓い』でヴェネチア映画祭金獅子賞にノミネート。続く82年にも同じくメル・ギブソン主演で、スカルノ大統領失脚を巡って混乱するインドネシアの激動期を舞台とした『危険な年』を監督し、カンヌ映画祭パルム・ドールにノミネートされる。こうした活躍によってオーストラリア・ニューウェイヴの旗手の一人となり、国際的な評価を得る。その後、アメリカに招かれ、85年にハリソン・フォード主演『刑事ジョン・ブック/目撃者』を監督し、アカデミー監督賞にノミネートされる。86年にも同じくハリソン・フォードを主演に『モスキート・コースト』、ロビン・ウィリアムズが情熱的な風変わりな教師を演じた青春映画『いまを生きる』(1989)、ジェラール・ドパルデューのロマンティック・コメディ映画『グリーン・カード』(1990)、コメディ俳優であるジム・キャリーがシリアスな題材に挑んだSF映画『トゥルーマン・ショー』(1998)、アクション・アドヴェンチャー大作『マスター・アンド・コマンドー』(2003)など、俳優の新境地を切り開く、さまざまなジャンルの映画を監督する。2010年に『ウェイバック-脱出6500km-』を最後に半ば引退状態となる。2022年にアカデミー名誉賞が授与され、初のオスカー受賞となった。
原作 ジョーン・リンジー
1896年、オーストラリアのメルボルンの名家に生まれる。小説家、劇作家、エッセイスト、ビジュアル・アーティストと多彩な顔を持つ。彼女のもっとも有名な小説『ピクニック・アット・ハンギングロック』は四作目の長編。ある夏の日、ハンギングロックで女子生徒とその教師が行方不明になった事件を描くこの小説は、実話をもとにしていると言われているが、そのミステリアスな表現と曖昧な結論は、多くに批評家や読者の関心を惹き、オーストラリアでもっとも重要な小説のひとつと評された。のちにペーパーバックのペンギン・ブックスに入れられ35万部を超える大ヒットを記録。オーストラリアの本としては、ペンギン・ブックスのトップの売り上げとなる。
原作について
小説家ジョーン・リンジーが七十歳のときに見た夢をもとにひと月足らずで書き上げた小説。バレンタインデーにハンギングロックへピクニックに出かけた寄宿学校の女生徒たちが失踪した事件と、その事件の余波について描く。初版は1967年にチェシャー出版によりオーストラリアで出版され、その後1975年にペンギン・ブックスで再版された。この作品に描かれた失踪事件は事実なのか、フィクションなのかは大きな注目の的になり、いまでも議論が続いている。ピーター・ウィアー監督による映画化のほか、演劇、ラジオ、テレビドラマなどにも翻案され、高い人気を誇っている。
場面写真集①
場面写真集➁
『ピクニック at ハンギング・ロック 4Kレストア版』
監督: ピーター・ウィアー 脚本:クリフ・グリーン 原作:ジョーン・リンジー 撮影:ラッセル・ボイド
出演:レイチェル・ロバーツ、アン=ルイーズ・ランバート、ドミニク・ガード、ヘレン・モース
ピクニック at ハンギング・ロック 4Kレストア版/1975 年/オーストラリア/カラー/107 分/英語
提供:JAIHO 配給: グッチーズ・フリースクール
ⓒ PICNIC PRODUCTIONS PTY.LTD.1975
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