世界征服を企むヒトラー&東條英機VSカンフー青年!ガーナ発の衝撃作『アフリカン・カンフー・ナチス』6/12(土)公開!ドイツ人監督はなぜガーナでヒトラーを演じ、前代未聞のカンフー映画を撮ったのか?カオスな撮影秘話!

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燃えよ、アフカン・カンフー!!!
ネット騒然『アフリカン・カンフー・ナチス』緊急公開決定!



第二次大戦後、実は生き延びていたヒトラーと東條英機が、連合軍の手をかいくぐり逃げ延びた先のガーナで現地の人々を制圧、世界征服のための最強武闘会を開催する。
この突拍子もないストーリーと本格的なカンフー・アクションで、ネット界隈から絶賛された、ガーナ発、前代未聞のポリティカル・カンフー・アクション『アフリカン・カンフー・ナチス』が、ファンの声に後押しされる形で、劇場公開が緊急決定。
2021年6月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにて全国公開される。




監督は、日本在住のドイツ人監督セバスチャン・スタイン(残虐非道なヒトラーを演じるのも監督本人!)
彼は、溢れる情熱と発想だけを手にアフリカへ乗り込み、ガーナのジョージ・ルーカスとして知られる伝説的監督「ニンジャマン」とタッグを組んで、まさかの映画化を実現させた。

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この前代未聞の企画が生み出されたのは、二年前のこと――。


恐怖と苦闘と衝撃の連続だった撮影の舞台裏は、記事の後半の「プロダクションノート」にて、監督の熱い声明文と共に秘話をたっぷりと紹介する。

そして完成した作品は、日本で行われたプレミア上映会で超満員の大盛況!

課金制で限定配信された Amazon では、5点満点のユーザーレビューで4.3という驚異的な高評価を叩き出し、「大爆笑!」「歴史に残る B 級」「やりたいことを全力でやった映画」「こういう映画を観たかった」と大絶賛コメントが乱舞。

ネット界隈は大きな賑わいを見せており、日増しに強まるファンからのリクエストにこたえ、ついにこの度、『アフリカン・カンフー・ナチス』の劇場公開が緊急決定した!





大事なことだから二度書くが、残虐非道なヒトラーを演じるのは、監督であるセバスチャン・スタイン本人

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監督の友人であり普段は相模原で便利屋を営む一般人、秋元義人「なんでもやる便利屋だから」ガーナまで渡ってカラテの達人=東條英機を熱演

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そして、主人公アデーを演じるクワク・アドゥやサミュエル・アサンテら、ガーナ人の卓越した身体能力が生み出すド迫力のカンフーアクションは超本格的で、カンフー映画ファンならずとも魅了されてしまうはずだ。
さらに日本語字幕が「関西弁」仕様になっているなど、随所に遊び心も満載されている。

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本作は、世界征服を目論むヒトラー東條英機が、アフリカの人々を新たな人種「ガーナアーリア人」として洗脳し、それに対し地元のカンフー道場に通うぐうたらな青年が一念発起して立ち向かうという、「一見完璧な B 級映画」。

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悪しき植民地主義者を叩きのめすブルース・リー主演の『ドラゴン怒りの鉄拳』を思わせ、さらにジャッキー・チェンの『酔拳』へのオマージュなど、カンフー映画スピリットを正しく継承した新たなアクションであると共に、現代に蔓延る搾取構造や力を崇める権力者達の姿を滑稽に描き出しており、言いたいことも言えないこんな世の中をぶっ飛ばす、気分爽快な快作なのだ!

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STORY

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第二次大戦後、ヒトラーと東條英機はまだ生きていた。
彼らは逃げ延びた先のガーナを制圧すると、空手と魔術的パワーを持つ日独同盟旗「血染めの党旗」を用いながら現地の人々を新たな人種「ガーナアーリア人」として洗脳し、世界を侵略するための拠点を築いていく。
圧政の優しき地元の青年アデーは、ヒトラー達に地元のカンフー道場を潰され、愛する恋人を奪われてしまう。
復讐を誓うアデーは最強のカンフーを習得するため、過酷な修行に身を投じていくが.……。

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監督声明|Directors Statement



もしあなたが何かを諦めようとしているときは、この話を思い出してください。

ドイツ・バイエルンの小さな村から日本に移住した男が、生まれてこの方行ったこともないアフリカのガーナへ行って、現地の人々とカンフーでヒトラーと東條英機を倒す映画を作る話です。これが本当にできたんだから、なんでも可能なはずです!

もちろん私自身、そんなことが実現できるとは思っていませんでした。当時の私は酒に溺れて荒んだ生活を日本で送っていました。同時にそんな日々に対して何かをしなければ!と思う自分もいてとても苦しんでいましたが、まさかその“何か”が『アフリカン・カンフー・ナチス』になるとは……。結果的に、この作品が私を救ってくれたのです!

もちろん私自身、そんなことが実現できるとは思っていませんでした。当時の私は酒に溺れて荒んだ生活を日本で送っていました。同時にそんな日々に対して何かをしなければ!と思う自分もいてとても苦しんでいましたが、まさかその“何か”が『アフリカン・カンフー・ナチス』になるとは……。結果的に、この作品が私を救ってくれたのです!

『アフリカン・カンフー・ナチス』は、純粋で気楽に楽しめる作品だと思います。たくさんの友達とたくさんのお酒(できればアドンコ・ビターズ)と共に観るのがベストな鑑賞方法でしょう。しかし、もっとじっくり観ると、それだけではないことに気付くはずです。カルト映画やキャラクター、さらには歴史からの引用がたくさんあります。

実は、作中のヒトラーのスピーチのほとんどは彼が実際に行ったスピーチと同じ内容で、「ドイツ」という単語を「ガーナ」に差し替えているだけです。シンボルもハーケンクロイツではなく“まんじ(卍)”に反転したり、ゲーリング(ナチスの NO.2)も黒人であるガーナ人を起用したり、すべて史実のナチスと逆さまにしています。

私はナチスをタブーにしてしまうと、ある種の神秘的な雰囲気を生み出てしまい、逆効果になるのではないかと考えています。だからこそ『アフリカン・カンフー・ナチス』では、第三帝国のシンボルを徹底的にネタにしています。本来の意味合いとはまったく逆に見えるため、ナチスの意図は粉々に打ち砕かれていると言えるでしょう。

もしヒトラーが『アフリカン・カンフー・ナチス』を見たら、きっと怒り狂うはずです……それを成し遂げたことを私は誇りに思います。

                                                 

                  ――セバスチャン・スタイン


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プロダクション・ノート|Production Notes

【文章:セバスチャン・スタイン(監督/プロデューサー/脚本/出演)】


カンフー映画に感化された少年時代


『アフリカン・カンフー・ナチス』の種はずいぶん前に蒔かれました。それは私がドイツ・バイエルン州ワイアルンにある、人口 2,000 人の小さな村に住んでいた幼少期にまでさかのぼります。

当時はインターネットがなく、やることもあまりなかったので、その頃の唯一の楽しみといえば、毎週金曜日の夜に設立されたばかりの民放テレビ局で放送されるカンフー映画。特に『五毒拳』『スネーキーモンキー蛇拳』『ドランクモンキー酔拳』『少林寺三十六房』どを夢中になって観ていました。ショウ・ブラザーズ製作の作品が一番好きで、真面目すぎるブルース・リーよりも、コミカルな若いジャッキー・チェンのほうが観ていてワクワクしました。

そして映画を見たあとは、いつも友達とカンフーごっこ。ヘビやヒョウの型を一生懸命練習しました。しかし私はそれに飽き足らず、地元から約 40 キロ離れたミュンヘンまで行って、師父アラン・バクラヤンに師事し、「洪家拳」と「蔡李佛拳」を教わるようになります。

彼は非常に厳しいマスターだったのですが、少し頭がおかしくて、カリフォルニアでの駐車場でカンフーバトルをした話や、壁に張り付くことができるマスターの話をしていたことを覚えています。それを聞いて、私は 18 歳でカンフーをやめました。
カンフー映画以外に、バッド・スペンサーテレンス・ヒルの映画や、黄金時代の WWF プロレス(お気に入りは“マッチョマン”ランディ・サベージと“アースクエイク”ジョン・テンタ)、あとゴジラ映画70 年代のチープなやつです。アフカン次回作で参考にする予定)もよく観ていました。そんな学生時代でした。





ヒトラーのモノマネに目覚める

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一方、学校の教科では歴史が好きだったのですが、ヒトラーを最初に見たとき、思わず笑ってしまったことを覚えています。まず、なぜ当時の人々がこの男を真剣に受け止めることができたのか? それが理解できませんでした。そして、もちろん彼は史上最大の悪なのですが、その一方で常に笑いのネタが湧き出している泉のようにも思えたのです。

ドイツは過去の歴史への反省から、学校ではナチスの歴史や、国の暗い過去を教育したり、テレビでは多くの関連ドキュメンタリーが放送されています。ナチスを象徴するものは厳格なタブーであり、鉤十字のシンボルを公共の場で掲出したり、ナチス式敬礼をしたりすると、罰金または懲役が科せられます。しかも私の家族は系譜上の問題もあり、家庭内でタブー視する傾向はさらに顕著でした。

私の父はドイツ人ですが、母は強制労働をさせるためにドイツに連行されてきたウクライナ人の祖母と、ロシア人の祖父の間に生まれました。祖父は反スターリン派だったため、ミュンヘンからパリ、やがてニューヨークと亡命生活を続けます。そのため母は継父によって育てられたのですが、その継父は強制収容所で生き残ったユダヤ人です。

そんな複雑な家系ですので、私は常に歴史を意識しながら生活していました。例えば、私がドクター・マーティンの靴を履いたときに、母が取り乱したことがありました。「ネオナチが履いている靴を息子も履いている! 息子もネオナチになったんだわ!」と勘違いされてしまったんです(当時ネオナチが履いていたのは、主に「ニューバランス」でしたが)。

思春期の若者であれば、あえて大人が忌避するタブーを扱ってふざけてみたくなるものです。 当時のほとんどの少年は、教科書のあちこちに鉤十字や SS のシンボルを描いたり、本の表紙や選挙ポスターにヒトラーの口ひげを描いたりしていました。

10 代後半になると、やることがもう少し過激になります。私はパンクでサイコビリーな少年だったのですが、ナチス式行進をしたり、タバコの箱の包装フィルムを口に当ててヒトラーの演説のラジオ放送のマネをしたりして遊んでいました。もちろんヒトラーをからかうつもりでやっていたのですが、それを街中でやると、様々な歴史的背景を持った人々からケンカを売られます。極右も極左もみんな騒然です。しかし私自身は、バカげたことを真剣に受け止めることのほうがバカらしい、そう思うようになりました。

そんなヒトラーのマネが高じて、いよいよ 1999 年頃には「Horst Hitler and the Swastikas」というパンクバンドを結成します。寛大な人は「アート」、正直な人は「工事現場の音」と感想を述べるようなバンドだったのですが、ヒトラー(私)が女性の下着とブーツを、時にはブーツだけを履いて、演説をするように歌うパフォーマンスが好評となり、ある種の伝説になります。

しかし、そんなことをやっていると、もちろん襲撃されるリスクも高まります。ミュンヘン郊外の村でライブをしたときは、会場に停めた車の中で窓を開けたまま寝ていたら、私のパフォーマンスに怒り狂った地元の右翼青年たちに顔面パンチされました。即座に私はスラブ(スターリングラード攻防戦のソ連軍)的なやり方で返しましたけど(笑)。

そして 2000 年になって、私は生まれて初めてのミュージックビデオ「ドイツのテクノ DJ アドルフヒトラー」を撮影します(この MV へのオマージュは、『アフリカン・カンフー・ナチス』の作中にも出てきます)。出演も私です。その時、ちょうど別のライブ映像の撮影をしていたので、その最後にこの MV を挿入してみたのですが、すぐに多方面から裁判をするだの何だのと脅迫が殺到。「Mad Sin」というバンドのフロントマンは、私の実家にまで直接電話をしてきて、「裁判以外の手段で解決してもいいんだぞ」と言ってきたので、私はもう引き下がるほかありませんでした。




『アフリカン・カンフー・ナチス』の誕生


その後、大学を出て、次にニュージーランド、そして日本へ。その間、女性と酒に溺れてしまったために“アドルフる”ことから一時期遠ざかっていましたが、映画とヒトラーのパロディーに対する愛情は持ち続けていました。そして来日してから 12 年が過ぎ去り、気がつけば2017 年となります。

過去最高の職場だった「VICE Japan」での仕事は終わりに近づいていて、彼女とも別れたばかり。しかも愛犬のエルビスは、ガンで死にかけていました。悪いことばかりが続いていて、私はほとんど毎日肝臓が溶けるほど焼酎とビールを飲んでいるような生活だったのですが、こんなことばかりをしていても悲惨な状況はよくならない、そう思うようになりました。まあ、今振り返れば、悲惨な状況といっても結局のところ贅沢な悩み事ではありましたが。

そこで私は、自分の強みは何なのかを再び探すことにしました。そうして見つけた答えのひとつは、歴史の知識。もうひとつは、くだらないことに対する経験値でした。

加えて、もうひとつ大切なことも思い出しました。それは、私がいつも黒人の女の子に夢中だったということです。私は日本に住んでいることを理由に、その重大な事実をいつも二の次にしてしまっていたのです。

それらバラバラに散在する自分の強みすべてを、壮大かつ誰にも否定できない最高のプロジェクトとして、ひとまとめにできないかと考えました。そして幾度となく、気絶するほどの泥酔や、脳みそが麻痺するほどの二日酔いの難産を経て、ようやく『アフリカン・カンフー・ナチス』が誕生します!

まあ、まずはタイトルを思いついたというだけですが、それからというもの私は“アフリカ人がヒトラーを殺すためにカンフーをしている”、これを常に頭の隅っこに置きながら生活するようになりました。仕事中でも散歩中でも一人ニヤニヤしていました。そんな私を見て、みんなは気が触れてしまったと思ったでしょう。





一応できたけど、これどうしたらいいんだ?


かくして私は脚本を書き始めたのですが、正直なところ、なぜそれを始めたのかは思い出せません。別にこれといった動機もなく、出資者もいませんでした。アフリカに知り合いがいたわけでもなく、私以外は誰もこのことを知りませんでした。

数行書いては、「一体なんのために書いているんだ?」とハッとする自分。そのたびに途中まで書いていた脚本を削除。そんな挫折を何度か繰り返しました。しかしある時“神のインスピレーション”によって突き動かされ、たった 2 日間ですべて書き終えてしまいました。おそらく飲みながら書いたことが良かったのでしょう。自分でジョークを考えて、自分でそのジョークを笑う。そんな笑いの自給自足サイクルにうまく乗っかったことで、やり遂げられたんだと思います。

そういうわけで脚本は完成したものの、「一体これをどうしたらいいんだ?」という現実は依然として立ちはだかっています。こんなの何の役にも立ちません。だって『アフリカン・カンフー・ナチス』ですよ……無理に決まっているでしょう!

しかし、一度できあがった脚本を前に、作品についてさらに考え、そして酒を飲めば飲むほどアイデアは胎児のように成長していきました。無意識のうちに、一歩一歩前進していたのです。友人の黒川康平さん(アフカンドキュメンタリーの撮影監督で、本作の美しい関西字幕の制作者)に話してみたところ、とても面白がってくれて「くだらないヒトラーネタができるのは君の強みだ。今こそ実現すべき時」と言って、この企画に協力することを約束してくれました。

あれ? ひょっとして本当に実現するかも? いや、まさか……。自ら生み出したものの、私はまだ半信半疑でした。しかし次のステップは、アフリカの映画製作者を探すことだ!ということで、とりあえずグーグル検索。するとアフリカで映画が作れそうな国は、ウガンダ、ガーナ、ナイジェリアであることがわかりました。

まずウガンダから当たってみるべく、ウガンダ映画の窓口役をやっているアメリカ人男性に連絡してみました。彼はとても奇妙な男で、後日、ニンジャマンが本作の最初の予告編を公開すると、すぐにウガンダからガーナのニンジャマンのところへ会いにきて、巨大なプラズマテレビや新しいパソコンなど、たくさんのプレゼントをくれたとプロデューサーマンから聞きました。その行動の理由はいまだに謎です。当初からそんな怪しい雰囲気を漂わせていたので、ウガンダはやめました。

次の候補、ナイジェリアは治安があまり良くなさそうだったので、最終的にガーナが残りました。ガーナは治安も良く、映画制作も盛んです。そしてニンジャマンが作った映画『2016』『Devil May Cry』『B-14』の存在を知った私は、衝撃を受けて即決。ガーナで彼らと撮ることにしました。とはいえ、それら映画作品や彼のホームページが見当たらなかったので、Facebook を駆使してガーナ映画関係者と思しき人を探し出し、何とか連絡を試みました。



ガーナで様々な賞を獲るに違いない!


最初に返事をくれたのは、プロデューサーマンでした。最初、私は彼のことをてっきり名作ガーナ映画『Mortal Kombat』の関係者だと思い込んでいたのですが、実際にはそれよりもっと低くて地割れを起こしている低予算……だけどめちゃくちゃ面白い地元テレビ番組「Trust No Girl」のプロデューサーでした。

数週間後、ニンジャマンからも返事が来ました。数カ月の間で返事をくれたのは、この二人だけ。そして私は、おそるおそる彼らに脚本を送ってみました。多分、狂ったやつだと思われるだろうな……。しかし返ってきた反応はそれとは正反対で、二人は大喜び。プロデューサーマンは「とても美しい脚本だ。ガーナで様々な賞を獲るに違いない」とまで言ったほどです。

やったぞ! でもそんなことありえる? ついに実現できる? いやいやまさか……。それでもまだ半信半疑でした。そもそも制作資金をどうするのか?という問題もあります。そこで私はある妙案を思いつきました。

当時、私はドキュメンタリーを専門とするメディア「VICE Japan」で働いていたのですが、その企画会議で提案してみようと思ったのです。映画のメイキングを VICE のドキュメンタリーとして配信できたら、ガーナへの旅費も賄えるし、制作資金の少しの足しになるかもしれない。しかし、そう思う一方で、VICE Japan がアフカンを取り上げるなんて無理だろうとも思っていました。

そしてドキドキの企画会議当日。その終わり間際に、思い切ってこの映画のことを話してみました。「ところで、もうひとつアイデアがあって……えーと、それはアフリカのガーナで映画を作るという企画なんですけど……」「タイトルは何?」「内容そのままなんですけど……えーっと『アフリカン・カンフー・ナチス』です」。会議室は爆笑に包まれました。「素晴らしい。やってみましょう!」、そうボスは言ってくれました。

こうして歯車は一気に動き始めます。私は日本の観客のために、東條英機も脚本に入れることにしました。東條役の俳優は最初からもう決まっています。普段は相模原で便利屋を営んでいる、友人の秋元義人です。これまた私の二日酔いから生み出された企画で『VICE VS』という異業種格闘技大会があるのですが、パンク vs ヒップホップ回のときにパンク代表として出てもらったのが義人で、それからの縁です。早速、東條役をオファーしてみたところ、「もちろんやるよ!」と答えてくれました。彼は“何でもやる”が売りの便利屋です。




まさかの前金要求を気合で送金!

そんな感じで計画は順調に進んでいったのですが、ここでとある問題が発生します。プロデューサーマンとニンジャマンと Skype 会議をしていたら、「制作費約 100 万のうちの大部分を前金として送金してほしい」「ガーナの人はお金を見せないと動いてくれない」と言われたのです。……えーと、ナイジェリアの詐欺は有名ですが、これもまたそういった詐欺の類のひとつなのでしょうか? そもそも苦労して稼いだ大切な現金を、まだ行ったこともない国の、まだ実際に会ったこともない誰かに送金するバカなんているでしょうか?

はい、ここにいます。私です。でも送金したあと、後悔してしまいました。いざガーナに渡る段になって、みんな蒸発とかあるかもしれない……と。しかし、彼らは違いました。程なく「2018 年 4 月 1 日にオーディションをするからガーナのクマシに来てほしい」と連絡があったのです! クマシはガーナ映画の都。私は何を期待していいのかすらわからない状態で、こうして初めてガーナに向かうことになりました。

しかし、オーディション会場に着いてびっくり。ニンジャマンとプロデューサーマンは、私が事前に YouTube でチェックしていたクマウッド(クマシ映画のこと)のアクション俳優を全員揃えていたのです! 収穫は想像以上! 最高のオーディションのおかげで最高の役者たちと出会うことができました。

それにしても一番驚いたのは、ガーナのカンフー技術の高さ! オーディション参加者の全員が、私がかつて教えを受けたドイツのヤバいカンフー師匠と同じレベルでした。その理由を聞くと、誰もがあっさりと「映画で観たカンフーをマネしてるだけ」と言います。ヤバすぎます。それに続いて、蛇拳、虎拳、酔拳、宙返りや跳び蹴りなど、ニンジャマンとの最初のトレーニングセッションが行われました。それを見て、私はこの映画にますます自信を持つことができたのです。

にわかに信じられないような展開が目の前で起きていて、ようやくその実感が湧いてきたのは日本帰国後でした。ニンジャマンとプロデューサーマンは、衣装や振り付けなど、準備に時間がかかるというので撮影は 2018 年 8 月まで待つことにして、その間、私は日本でいろいろ準備することにしました。衣装や小道具の準備もそうですが、それよりもまず、東條と私が戦える身体を作ることが先決です! 私たちは週に一度一緒にトレーニングをし、セリフの練習をしました。まあ、毎回最後はかなり酔っぱらって終わりましたけどね。




突然乱入してきた男、アドンコマン


そうこうしているうちに 8 月になり、再びガーナへ渡りました。ビザ、飛行機、ホテル、お金、予防接種などいろいろ準備が必要だったので、私は何か漏れがないかととにかく不安でした。しかしニンジャマンとプロデューサーマンはデキる男です。キャストとスタッフ、衣装や小道具をすべて手配し、ロケ地もちゃんと用意してくれていたおかげで、ガーナに着いた私たちはそれらの確認をするだけでいいという段取りの良さ。さすがです。

一方、長編ドキュメンタリーの制作も並行して進めていました。そっちに必要な要素として、様々なガーナ文化を意図的に映画のほうの脚本にも取り入れました。ガーナ名物ファンタジー棺桶、ブードゥー教の巫女、現地のお酒……。言うまでもなくスケジュールはタイトで、ドキュメンタリー撮影と映画のロケ地の往復が続きました。その間、私は常にアドンコを飲み、黒人女性好きな私は毎日“ブンブン”していたため、ほとんど眠れませんでした(ブンブンの意味は聞かないでください)。

ちなみに、ガーナの国民的アルコール飲料「アドンコ」の映画タイアップが決まったのは突然でした。ある夜、マッチョマン(プロデューサーマンの友人)の母親が私たちのために夕食を準備しているところに突然、地元の有名人が現れたのです。その男こそ、アドンコの宣伝大使でありアドンコの顔である「アドンコマン」でした。

その突然の乱入者と私たちは大量に酒を飲み、彼を新たな役でこの映画に登場させようと全会一致で決めました。アドンコマンはすごくうれしそうで、私たちは翌日、ひどい二日酔いで彼の上司に会いにいくことにしました。あとはご存知の通りです! こうして映画と何の脈絡もない飲料、アドンコが映画に大量に露出することとなりました。




ガーナ撮影中のエピソード一覧


撮影中、たくさんの事件や問題が発生し、本を一冊書けるほどエピソードはあることは確かです。ただ、あまりに多すぎておそらく半分以上をすでに忘れているので、以下に箇条書きを記して、あとは皆さんのご想像にお任せします。あるいは、イベントなどでお会いする機会があれば、アドンコを飲みながら私に聞いてくれても構いません。


① 撮影初日、ニンジャマンの設定した撮影開始時間:午前 6 時。→実際の撮影開始時間:午後 3 時。

② 2 日目以降、ニンジャマンの設定した撮影開始時間:午前 7〜9 時。→実際の撮影開始時間:午後 2〜5 時。

③ 撮影に欠かせないプロデューサーマンの車、毎日故障。

④ 理髪店で「ヒトラー風に髪を切ってくれ」と言ったらまったく違う髪型にされたため、やむなく撮影ではウィッグ着用。

⑤ 撮影半ばで武闘会のロケ現場から追い出される。現場ビルのオーナー女性が、ブードゥー教の儀式をやっていると勘違いしたため。

⑥ 武闘会のシーンで肌の白い役者が足りなくなり、やむなくドキュメンタリーの撮影監督の黒川さんが映画デビューするはめに。

⑦ ブードゥー教の巫女の意見を無視したため、呪いをかけられる。

⑧ プロデューサーマンの車、ついに爆発。

⑨ 伝統的なガーナ挙式で行われていたスタッフの親戚の結婚式に、全身ヒトラーの衣装を着て出席。

⑩ 撮影初日にガーナアーリア人の一人が倒れ、ビル 2 階から落下。

⑪ 地元の美女と強制的に結婚させられそうになるヒトラー。

⑫ 貴重なドローン墜落。

⑬ 現地食であるゲテモノシチューを食べる。中に入っていたのは、ネズミ・カタツムリ・何かの動物の脳みそ。

⑭ ゲーリングがカメラマンと口論の末、撮影をボイコット。そのためアドンコマンのシーンが急遽爆増。

⑮ どういうわけかカメラマンのうち2人が、撮影期間中ずっとフォーカスを合わせられず、彼らが撮った映像はすべてピンボケに。

⑯ 東條、よくわからないいろんな動物に噛まれる。

⑰ 日本人スタッフ、マラリアで倒れる。

⑱ 小道具の機関銃のせいで、ガーナ警察、ニンジャマンを逮捕。

⑲ 警察をなだめようとしたプロデューサーマンが、アドンコを勧めて逮捕。

⑳ ヒトラーと黒川が諸事情により繰り返し逮捕。

㉑ピンボケ問題のせいで、日本で再撮影するはめに。駐車場に設置したグリーンバックの前で、ナッツに見立てたシュークリームをひとり潰すヒトラー。山の風景シーンはグアムで撮った別素材をはめることに。

㉒当初予定していた編集期間:2 カ月→実際の編集期間:13 カ月。しかもニンジャマンから上がってきた編集がダメすぎて結局ヒトラーがすべて再編集。

㉓プロデューサーマンに預けていたお金が……あれれ? どこ行った???

㉔撮影現場にアドンコが無尽蔵に差し入れられたため、撮影中は飲み放題。そのためスケジ ュール、脚本、キャストに大幅な変更が生じる。

㉕小道具として使うために、誰かの葬式に持っていく直前のトヨタ車の棺桶を札束の力で土壇場レンタル。

㉖プロデューサーマンの車に続き、ロケバスも炎上。唯一の市外ロケ地だった湖から帰れなくなる。


これらに加えて悲しいことに、撮影が終わって間もなく、メインキャストの一人である「3 本指のジョー」が刺されて亡くなってしまいました。また、2020 年の終わりには、「影蛇拳の師匠」を演じたガーナで最もビッグなアクションスターの一人、アンドリュース・メンサーが強盗に銃撃され、重体に陥りました。しかし幸いなことに、彼は 2021 年の時点で完全に回復しています。




ガーナはあなたを待っています!


そんなガーナでのカオス体験はさておき、私たちは皆かなり迅速にこの環境に適応し、ガーナの友人たちの野心のおかげもあって、与えられた条件の中で最大限に良いものが作れたと思います。

食べ物が合わない? じゃあアドンコを飲めばいい。誰も朝の集合時間に現れない? じゃあ翌日は最後に行けばいい。キャストやスタッフが辞める? じゃあアドンコマンに代わってもらえばいい。プロデューサーマンの車がすぐ爆発する? それは祈るしかない。

このマインドによってなんとか怒涛の日々を切り抜けることができ、私はガーナにおいて人生最高の経験をすることができました。人が死ぬとき、本当に自分の人生が走馬灯のように駆け巡るのだとしたら、私が見るものは確実に『アフリカン・カンフー・ナチス』の製作現場になるでしょう。

もちろん、ガーナで映画を作るのは簡単ではありません。自分のやり方が譲れないのであれば、おそらく失敗します。実際にインドのボリウッドの人たちがクマシで大作を撮ろうとして、結局最後は諦めたという話を聞いたことがありますが、それは現地に適応する柔軟性を持っていなかったためだろうと思います。頭の固さは人類にとって最も悪しき特徴のひとつです。

でも、心を開いて、柔軟な姿勢で、現地のやり方に適応する気持ちでガーナに行けば、物事はきっとうまくいきます。私は天才ではありません。どちらかといえば、アルコール依存症ギリギリのラインでありますが、それでも映画を完成させることができました。この経験を通して学んだこともたくさんあります。

例えば、時間。誰も時間を守らない社会において、ひとり時間を守り続けるほどバカらしいことはありません。私を含め、日本から来たスタッフは初日にそれに気づけたので、以降は問題ありませんでした。私たちにできるんだから、誰だってできると思います(ただしボリウッドを除く)。

そして知らぬ間にあちこちで多少のお金が消えてしまうことも、あらかじめ計算に入れておかなければいけません。まあ、普通の映画の制作費として見れば、かなり安いもんなんですけどね。とにかくガーナには未開拓の才能がたくさん眠っているし、彼らと一緒に仕事をしない手はありません。ただ、もしあなたがそこでメジャーな映画を安く制作したいとお考えなら、ガーナの素敵な人々の手を煩わせるのはかわいそうなので、やめておいたほうがいいでしょう。



メダワセ(Medawase)、ダンケ(Danke)、ありがとう。そして、シ、カ!(Si-Ka!)







■スタッフ&キャストプロフィール|Cast & Crew profile

<STAFF>

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セバスチャン・スタイン【監督・脚本・出演:ヒトラー】|Sebastian Stein


ドイツのミュンヘンから約 40km 離れたワイアルンという小さな村で育つ。幼い頃から、古いカンフー映画(特にショウ・ブラザーズ)に魅了され、18 歳まで洪家拳と蔡李佛拳を習う。高校時代はパンク、サイコビリー、ロカビリーなどのサブカルチャーに傾倒。
ミュンヘンの大学でメディアマネジメントを学び、2004 年からはニュージーランドへ拠点を移し、テレビ CM 制作会社で勤務。

その間、多くの日本人バックパッカーと友達になり、「ドイツでは永遠に変人扱いされるのがわかりきっているが、日本では何もかもがそもそも違うので、少なくとも誰も私に対して普通を求めない」と日本に行くことを決意。2005 年、知っている日本語は 3 語ほど、ポケットには数百ドルという状態で、東京へワーキングホリデーに。友人や家族たちは、2~3 カ月でミュンヘンに戻ってくると思っていたが、2021 年現在いまだに東京在住。最初の勤務先は、テレビ制作会社「インターテレメディア」。その後、フリーランスになり、ブルームバーグ、MTV、WDR(ドイツ)、Rai など、様々な企業と仕事をする。

2011 年に初の長編ドキュメンタリー『Twilight of the Yakuza』を制作。それ以来、日本のアンダーグラウンドシーンとヤクザに特化するようになり、それを機に VICE Japan で長く活躍。そして 2018 年、ひどい二日酔いで目覚めたときに、ふと「アフリカに行きたい」と思いつき、それを実行するための言い訳として『アフリカン・カンフー・ナチス』のプロットを考えるように。カンフー映画、バッド・スペンサー、ランディ・サベージ、そして歴史への愛情を混ぜ込み、わずか 2 日で脚本を完成。2021 年現在、把握している範囲では『アフリカン・カンフー・ナチス』は、ドイツ語に吹き替えられた初のガーナ映画である。





ニンジャマン(サミュエル・クワシ・ンカンサー)【監督】|Samuel Kwasi Nkansah


1981 年 7 月 21 日、クマシ生まれ。クマウッドで最も尊敬される監督の一人。ガーナのアニメーションとアクション映画のパイオニアであり、さまざまなクマウッドの映画賞を獲得。監督作に『Devil May Cry』(12)、『B-14』(12)、『IP Man GH – We own this City』(13)などがある。最大のヒットは、アメリカの人気テレビ番組「コナン・オブライエン・ショー」でも取り上げられた映画『2016』。ニックネームのニンジャマンは、彼のカンフーのスキルに由来。本人によれば最初は“スーパーニンジャ”と呼ばれていたが、“スーパー”はすぐに誰も言わなくなったとのこと。信仰深く、地元のペンテコステ派教会に所属しているが、女性好きでもある。コロナ禍以降は、自身の YouTube チャンネル「GH Entertainment1」の活動に集中。着実にチャンネルの人気を高めている。



プロデューサーマン(ダニエル・アカンテ)【プロデューサー】|Daniel Akante


1993 年 12 月 25 日、クマシ生まれ。ガーナ最年少のプロデューサーとして広く知られる。テレビシリーズ「Trust No Girl」で知名度を上げたが、同シリーズには『アフリカン・カンフー・ナチス』の出演者も多く参加している。自分では否定しているが大の女性好きで、熱狂的なアドンコの愛飲家でもある。そのため撮影現場に差し入れられたアドンコのほとんどを飲み、定期的に暴れることに……。コロナ禍によってクマシの映画ビジネスは大幅に縮小したため、現在はタクシー運転手の仕事で生計を立てているが、驚くべきことに『アフリカン・カンフー・ナチス』撮影中に爆発した車をタクシーとして使用している。






<CAST>

エリーシャ・オキエレ【アデー】|Elisha Okyere
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アーティスト名は、ジャック・アニーデン。クマシ生まれで、ニンジャマン映画の常連キャスト。ガーナ史上最高額の宝くじ約 25 万ドルを当てたデレックス・ノドが率いる「ナザレス・クルー」のメンバー。このユニットは、『Genesis of the Ashantis』(20)などの素晴らしい映画や音楽を制作しており、実際に DJ アドルフのシーンなど『アフリカン・カンフー・ナチス』で使用された楽曲のいくつかは、エリーシャが演奏している。パンデミックにより、ガーナでは現在ほとんどの映画制作が休止されているため、今は主に音楽活動に集中。


秋元義人【東條英機】|Yoshito Akimoto
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1978 年 9 月 13 日、東京生まれ。90 年代、スケートパンクカルチャーの中で育つ。好きなバンドは「ランシド」と「ゴールドフィンガー」。数年前に便利屋の会社を設立し、引っ越しサービスから、遺品整理、特殊清掃、そして俳優業まで、頼まれたことは何でも行っている。セバスチャン企画の異業種格闘技大会『VICE VS』にパンク代表として出演。言うまでもなく格闘技経験はなく、出場の準備といえば、バッティングセンターに通ったのと、ビールを飲むことくらい。結果、ラッパー代表に1ラウンド KO 負け。それ以来、セバスチャンと友人関係が続き、現在は彼の作品を頻繁に手伝っている。酒、喧嘩、スケートが趣味で最近は町田の酒場でよく暴れているそうだが、実は敬虔なクリスチャン。ウサギのリルちゃんも飼っている。



マルスエル・ホッペ【ゲーリング】|Marsuel Hoppe

これまでに出演したクマウッド映画は 200 本以上。一貫して悪役を演じてきたため、ガーナの田舎で彼を見た人々は「殺人者が来た!」と叫びながら逃げ出すという。ニックネームは“テイラー”。その名の通り実際にプロの仕立屋で、ゲーリングの衣装も自らデザインして仕立てた腕前の持ち主。また、本家ゲーリング同様に、現場で一番のわがままで、食べ物やホテルの部屋、スタッフについてなど常に文句を言い、ひどいときには自分の撮影シーンに姿を見せないこともたびたび。みんな彼に怯えているように見えたが、実はとてもナイスガイ。



ンケチ・チネドゥ【エヴァ】|Nkechi Chinedu
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本作の撮影のためにはるばるナイジェリアからやってきて、現在はほとんどの時間をガーナで過ごす。プロデューサーマンの TVシリーズ「Trust No Girl」のレギュラー出演者でもある。現場ではテイラー(ゲーリング)に次ぐわがままで、辛いものを食べたあと、セバスチャンの顔に向かってゲップを吹きかけるのが楽しかったらしく、撮影後もずっとそれを繰り返す。みんなに迷惑をかけたが、それでも本当はとても親切で心優しい女性。


アンドリュース・メンサー【影蛇拳の師匠】|Andrews Mensah
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4 月 16 日、クマシ生まれ。外を歩けば必ずファンに声をかけられるほどのガーナで一番ビッグなアクションスター。実際に最近“ガーナ最大のアクションスター賞”を受賞している。元々はボクサーだったが、ニンジャマンに見出されて映画『B-14』の主演に抜擢。この映画で「モータル・コンバット」のスコーピオンのように手から何かを発射したため、愛称は“スコーピオン”に。間違いなく本作で一番のスター俳優だが、最も謙虚でクールな男でもあり、いつも一番に現場入りして、他のスタッフを手伝う姿が目撃されている。撮影後の 2020 年、自宅で強盗から銃撃され致命的な怪我を負うも、勇敢に家族を守りきる。まさに実生活でもヒーローである。現在は完全に回復。


アマンダ・アチアー【ビッグ・ブラック・ガール】|Amanda Achiaah

アクションの女王として知られ、ガーナで一番の女性スター。数え切れないほどのクマウッド映画に出演し、ガーナでは上流階級。しかし、とても謙虚でわがままな行動をしないため、ファンや共演者、スタッフから愛されている。『アフリカン・カンフー・ナチス』の撮影で最も印象的な出来事のひとつは、彼女が兄弟の結婚式にスタッフと、映画の衣装を着たキャスト全員を招待してくれたこと。ガーナの民族衣装・ケンテを着た地元の首長の隣でヒトラーと東條が踊る姿は、まさに異次元の光景だった。


ウォーカー・ベントル・ボアテング【アカンテ】|Walker Bentil Boateng

アデー役のエリーシャが所属する「ナザレス・クルー」のメンバー。彼もまた音楽を作っている。 ガーナのほとんどのアクションスターと同じく、カンフーを学んだのはジャッキー・チェンとジェット・リーの映画から。エリーシャの後輩だが、最近は彼よりも人気が出てきたため、二人の関係はどうもギクシャクしているらしい……。しかし、それでも彼らは今も、同じ家で共同生活を送っている。





【作品概要】


監督:セバスチャン・スタイン / ニンジャマン
脚本:セバスチャン・スタイン
製作:プロデューサーマン
撮影:パトリック・オウス
編集:セバスチャン・スタイン / ニンジャマン
美術:フレデリック・ボアテング
サードカメラ:黒川康平“クロフィン”
メイクアップ:FRED
キャスティング:プロデューサーマン、ニンジャマン
出演:エリーシャ・オキエレ / マルスエル・ホッペ / 秋元義人 / ンケチ・チネドゥ / アンドリュース・メンサー / アマンダ・アチアー / ウォーカー・ベントル・ボアテング / クワク・アドゥ / セバスチャン・スタイン

2020年 / ガーナ、ドイツ、日本合作 / 英語、ドイツ語、日本語、トウィ語 / 84分 / ビスタ / カラー


原題:African Kung-Fu Nazis
日本語字幕:Kurofin Blackchang / 配給:トランスフォーマー
公式HP:transformer.co.jp/m/akfn
Twitter:@Ghanarians

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6 月 12 日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国公開



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