史上最低の映画を史上最高の音響で楽しむ悪夢のようなイベントが実現!『死霊の盆踊り』『プラン9・フロム・アウタースペース』が衝撃の極音上映!

イベント・映画祭



まさに、わが耳を疑う偉業だ。

映画の魅力を引き出すために一流の音響家がこだわり抜いて音を調整し、最上級の劇場サウンドシステムで上映される、立川シネマシティ(東京)の極上音響上映。
数々の名作、傑作、快作が上映されてきたこの人気イベントで、8/29から『死霊の盆踊り』が極音上映される。
世界広しと言えど、この作品が極音上映されるのはおそらく立川シネマシティだけだ。

知らない人のために書いておくが、『死霊の盆踊り』とは、 “史上最低の映画監督”エド・ウッドが原作、脚本を手掛けた作品。



配給会社によって“史上最低の映画”と宣伝されたが、噂にたがわぬクズ映画ぶりで、見る者をあ然とさせた。

©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome



実はこの『死霊の盆踊り』も、極音上映では定番の音楽映画やダンス映画のカテゴリーに入る…かもしれない。

しかも音響だけでなく、映像もHDリマスターのハイクオリティ仕様である。信じられない。
“観る拷問”とまで言われた史上サイテー映画が、史上最高の極音上映によって、どうその魅力が引き出されるのか、いや何も変わらないのか、むしろ劣化するのか。

クズ映画ファンなら、こんなレアすぎる驚愕の映画体験を見逃す手はないだろう。

©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome



悪夢は終わらない…。
9/5からは総天然色版『プラン9・フロム・アウタースペース』も極音上映決定!



『死霊の盆踊り』の極音上映会終了後の9/5(土)からは、今度はエド・ウッドが監督した代表作『プラン9・フロム・アウタースペース』が極音上映される。
しかも映像は総天然色版(オリジナルはモノクロで、デジタル彩色でカラーライズされたバージョン)で、こちらもBlu-rayマスターの高画質で上映される。
そして、もちろん一流の音響家がこだわり抜いて音を調整し、最上級の劇場サウンドシステムで極音上映される。

©Legend films.



アメリカでは長くこの『プラン9・フロム・アウタースペース』こそが“史上最低の映画”と言われていたが、日本ではモノクロ映像ゆえに敬遠され、逆に、カラー・フィルムで撮影され、ヌードもある『死霊の盆踊り』の方が早く公開されてしまったとか(詳しくは、この記事の後半にある、配給会社提供の特別解説「『プラン9・フロム・アウタースペース』と『死霊の盆踊り』はいかにして人気作となったか。」を読んでほしい)。


初体験のインパクトのせいか、日本では『死霊の盆踊り』こそ史上最低の映画と推す声も少なくない(はずだ)。
しかし、今回の『プラン9・フロム・アウタースペース』の総天然色版でモノクロのハンデはなくなった。しかも極音上映である。
生みの親であるエド・ウッドですら想像できなかった劇的進化ぶりに、私たちは今度こそ『プラン9・フロム・アウタースペース』の真のクズ映画ぶりを体感できるのかもしれない。

©Legend films.
©Legend films.



それにしても、いったいどういう経緯で、こんな狂った企画が実現できたのか。


劇場のサイトを覗くと、プログラム担当者の悲痛なメッセージがつづられていた。
ぜひ読んでほしい。
クズ映画ファンならずも胸が熱くなること間違いなしだ。


立川シネマシティ “サイテー×サイコー「BONKURA DANCE FES./シネマシティ ボン踊り2020」”
https://ccnews.cinemacity.co.jp/bonkura-dance-fes-2020/


そうだ。クズ映画を上映する劇場が決してクズなんかであるはずがない(当たり前だ)。


しかし、同時にポスターにある


“いいか、どうにかなるものと、どうにもならないものがあるんだよ”


という音響家の内なる叫びも胸に突き刺さる。


やっていいことと、悪いことがあるのかもしれない。


このモヤモヤ感を解消するためには、一にも二にもとにかく劇場に足を運ぶしかないだろう。

(文・福谷修)








【イベント情報】

サイテー×サイコー「BONKURA DANCE FES./シネマシティ ボン踊り2020」
『死霊の盆踊り』『プラン9・フロム・アウタースペース』【極音上映】


日時■

『死霊の盆踊り』

2020年8月29日(土) – 9月4日(金)

『プラン9・フロム・アウタースペース』

2020年9月5日(土) – 11日(金)

※本【極音上映】イベントは、上記作品を、音響家がこだわり抜いて音を調整した、立川シネマシティだけの特別バージョンで上映されます。

会場■シネマ・ツー/aスタジオ
料金■通常料金 ※各種割引適用
チケット■通常スケジュールでWeb予約/ツー窓口販売

Web予約はこちら

『死霊の盆踊り』
https://res.cinemacity.co.jp/TicketReserver/studio/movie/2008

『プラン9・フロム・アウタースペース』
https://res.cinemacity.co.jp/TicketReserver/studio/movie/2007





特別解説(配給会社提供)


『プラン9・フロム・アウタースペース』と『死霊の盆踊り』はいかにして人気作となったか。


『プラン9・フロム・アウタースペース』は、完成から3年近く経ってようやく劇場公開されたものの、当然ろくな興行収入などあげられずに映画史から忘れ去られた。しかし、配給権を買った会社がすぐにテレビ放映権を二束三文で売りはたいたため、60年代前半にはその他の独立系プロ製作の低予算SFホラーとともに深夜放送の常連となっていく。その結果、この奇妙な映画は映画オタクの心に深く刻まれることになる。

©Legend films.

だが、この映画がカルト・ムービーとして確固たる地位を確立し、絶大な人気を得るのは80年代に入ってからだ。70年代後半には、すでにマニア心をくすぐるパロディ映画やナンセンス・コメディの人気が高まってきていたが、サイテー映画の人気はそんな一ひねりしたマニアックな笑いの延長線上にあるものだった。

1980年、ハリーとマイケルのメドベッド兄弟が「ザ・ゴールデン・ターキー・アワーズ(THE GOLDEN TURKEY AWARDS)」という書籍を出版する。ムックのような体裁のその本は「映画史上最もくだらないモンスター」「映画史上最低の野菜映画」など、様々なジャンルに分けて賞を設け、5本程度のノミネート作品を紹介、次のページで受賞作を発表するというアカデミー賞授賞式のパロディ形式をとっていた。ちなみに「映画史上最低の野菜映画」では『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』(78)を押しのけて、日本の『マタンゴ』(63)が受賞している。

同書のクライマックスはすべての業績から見た「映画史上最低の映画監督」と、兄弟が2年前に出版した「史上最低の映画50本(THE FIFTY WORST FILM OF ALL TIME)」の読者アンケート約3000票を集計した結果としての「映画史上最低の映画」。そして見事前者に選ばれたのはエドワード・D・ウッド・Jrで、後者で393票を獲得してグランプリに輝いたのが『プラン9・フロム・アウタースペース』だった。こうしてエド・ウッドと『プラン9~』は史上最低の監督と史上最低映画という称号を手にして、圧倒的な知名度を獲得していく。

©Legend films.


さらにその直後に始まった世界的なビデオ・ブームは、ヒドさやナンセンスさをもエンタテインメントに昇華させて、“サイテー映画を大勢で突っ込みを入れながら笑って楽しむ”という映画の新しい楽しみ方を生み、映画史に残る数多くのサイテー映画が発掘や、ビデオ化を促し、それに伴い再上映イベントも各地で行われるようになっていった。
そのブームを仕掛けた1人がロカビリー・ミュージシャンのジョニー・レジェンドだった。彼はマニアックなレコードを数多く発売していたライノ・レコードの映像部門ライノ・ビデオから、86年に自らのプロデュースによりサイテー映画やセックスプロイテーション映画の数々をビデオ発売、さらに名(珍?)場面集“BATTLE OF THE BOMBS”(86)や“SLEASEMANIA”(86)を製作、リリースし、人気を博した。


『死霊の盆踊り』(65)はライノ・ビデオのこのラインナップに入っていたことから日本の版権会社の目に留まり、87年に日本で上映され、ビデオ発売されることになった。当時『プラン9~』の発売も検討されたが、モノクロ映画という理由で見送られた。日本のビデオ市場はまだサイテー映画を楽しむまで成熟していなかった。『~盆踊り』が世に出たのもホラーというジャンルでカラー、さらに裸がたくさん出てくるのでビデオ市場向きということで買い付け担当者が中身を見ないで買い付けたという理由からで、宣伝担当者は苦し紛れに「史上最低の映画」と宣伝し、珍妙な邦題をつけたが、それが逆に話題となってビデオが5000本も売れる大ヒットとなった。

©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome


80年代中頃に盛り上がったサイテー映画人気はさらなる副産物を生み、やがてそれはより大きな波となっていった。
89年にはミュージカル「PLAN9 FROM OUTER SPACE :THE MUSICAL」が上演され、92年にはルドルフ・グレイによるエド・ウッドの伝記「エド・ウッド 史上最低の映画監督」が出版、同年ドキュメンタリー“FLYING SAUCER OVER HOLLYWOOD”、93年にはハードコア・ポルノ“PLAN 69 FROM OUTER SPACE”も作られた。そして遂にはティム・バートン監督がディズニーで『エド・ウッド』(94)を撮り、史上最低の映画監督を愛と哀しみを込めて描いたことでブームは最高潮に達し、マニアックな映画ファンの間だけでの知名度だったエド・ウッドの名は一気に国際的となりメジャー級のネームバリューとなった。
95年9月の『エド・ウッド』日本公開の勢いに乗って、『プラン9~』は『グレンとグレンダ』(53)、『怪物の花嫁』(55)と共に95年8月に日本で初めて劇場公開され、その後ビデオ化された。また、人気映画雑誌「映画秘宝」の前身であるムック版第1号「映画秘宝Vol.1 エド・ウッドとサイテー映画の世界」も同年7月に発売されている。

©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome


その後、新しいドキュメンタリー“THE HAUNTED WORLD OF EDWARD D.WOOD, Jr”(96)が製作され、同時にエド・ウッドの関連作の再上映、DVD化はさらに加速、お蔵入りしていた作品や行方不明だった素材が発見され、『クレイジー・ナッツ 早く起きてよ』(98)など彼の未映画化脚本の映画化、リメイクなども頻繁に行われるようになっていく。
2000年代に入っても人気は衰えず、05年に舞台「PLAN9 FROM OUTER SPACE :THE RIP-OFF」が上演され、06年には今回上映される『プラン9~』カラー版の実施、再上映、11年には同3Dバージョンの製作、上映、15年にはリメイク映画“PLAN9”が完成した。さらに17年にはエド・ウッドの生涯をベースにしたミュージカル「DREAMER –THE ED WOOD MUSICAL」が上演され、『死霊の盆踊り』のHDリマスター化が行われた。
そして今、『死霊の盆踊り』と『プラン9・フロム・アウタースペース』は、それぞれに新たな化粧直しを施されてそのサイテーぶりに磨きをかけ、日本で再びサイテー映画旋風を巻き起こそうとしている。 




【作品紹介】

映画史とは、今も繰り返し見続けられている傑作、名作だけでなく、その何倍もの駄作と失敗作の死屍累々が築いてきた歴史です。この2本は、その栄光の歴史にひときわ輝く、最低を極めて珠玉となった2つの伝説。ヒドい映画や耐え難いほどつまらない映画は世界中に無数にあります。でも、徹底的にヒドいのにまったく憎めず、こんなにも面白く、哀しくも愛おしい作品は他にありません。
これも間違いなく、映画の神様が起こした奇跡のかたちです。
失笑、嘲笑、爆笑の果て、壮絶なヒドさの中にも溢れる真の映画への愛と見世物魂を見つけたとき、あなたはきっと、かつて体験したことのない映画的感動に震え、涙することでしょう。

江戸木純(映画評論家)





HDリマスター版
2019年12月28日(土)よりシネマカリテほか、全国にて順次ロードショー!

『死霊の盆踊り』HDリマスター版 ©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome

<スタッフ>
製作・監督:A・C・スティーヴン
原作・脚本:エドワード・D・ウッド・Jr.
撮影:ロバート・カラミコ
音楽:ハイメ・メンドーサ・ナヴァ
編集:ドナルド・A・デイヴィス
振付:マーク・デスモンド
美術:ロバート・ラスロップ
衣装:ロバート・ダーリーヴス
アソシエート・プロデューサー:ウィリアム・ベイツ
L・S・ジェンセン
二―ル・B・ステイン

<キャスト>
闇の帝王  クリスウェル
闇の女王  ファウン・シルバー
シャーリー パット・バリンジャー(黄金女と二役)
ボブ    ウィリアム・ベイツ

<死霊ダンサーズ ※登場順>
インディアン・ダンサー(炎を愛した女) バーニー・グレイザー
街娼ダンサー(彷徨を愛する女)     コリーン・オブライエン
黄金ダンサー(黄金を崇拝した女)    パット・バリンジャー
猫ダンサー(猫を愛した女)       テキサス・スター
奴隷ダンサー(奴隷女)         ナデシダ・ドブレフ
メキシカン・ダンサー(闘牛を愛した女) ステファニー・ジョーンズ
ハワイアン・ダンサー(蛇と煙と炎を愛する女)ミッキー・ジーンズ
骸骨ダンサー(骸骨と踊る花嫁)     バーバラ・ノーディン
ゾンビ・ダンサー(ゾンビ女)      ディーン・スターンズ
羽根飾りダンサー(羽根飾りに殉じた女) ルネ・ド・ボー

ミイラ男  ルイス・オヘーナ
狼男    ジョン・アンドリュース
大男    ロッド・リンデマン
刑事    ジョン・ビーリー
看護婦   アーリーン・スプーナー

アストラ・プロダクションズ製作 原題:ORGY OF THE DEAD
<1965年・アメリカ映画/英語/セクシーカラー/アストラヴィジョン(1:1.85)/91分/日本語版字幕:松浦美奈/映倫指定区分G>
©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome
提供:ポニーキャニオン+エデン 配給:エデン 
www.eden-entertainment.jp/saitei2020/

©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome
©1965 Astra Productions, under license from Vinegar Syndrome


(解説)

満月の夜。墓場に迷いこんだカップルが体験する悪夢の一夜。女幽霊たちが繰り広げる、終わりなき死霊たちの饗宴、その果てに待っているものとは!? 

映画史上最も有名なサイテー映画の代名詞『プラン9・フロム・アウタースペース』と並び、映画史に残るサイテー映画のもうひとつのレジェンドにして、邦題史上に残る迷(名)邦題として名高く、その題名を聞いただけで映画ファンの誰もが爆笑する究極のカルト・ムービー! 米映画レビューサイト、ロッテン・トマトで笑激の満足度0%を獲得しているサイテー映画の決定版!!

徹底的にくだらない設定とストーリー性皆無の展開、大仰かつ意味不明なセリフと驚くべきダイコン演技、ただひたすら女幽霊たちが狂ったように踊り続けるトップレス・ダンスの無間地獄、全編を貫く映画的凡庸さとは裏腹に画面に展開されるハイクオリティなヌードとダンスのコラボレーションは、やがて見る者を恍惚とさせ、信じられない快感と爆笑の渦に陶酔させる。長い映画の歴史においても、こんな映画は他にない。
ポルノ解禁前のアメリカで、裸を見せるための“ヌーディ映画”として作られた製作から54年、伝説の邦題を付けられて日本での劇場公開から32年、令和元年末、この迷作中の迷作がHDリマスターで日本のスクリーンに奇跡の復活を遂げる。
この映画をスクリーンで見ることは、間違いなく見る者の一生の語り草となるだろう。

エド・ウッドことエドワード・D・ウッド・Jrの原作・脚本をもとに空前の怪作を作り上げたのは、エド・ウッドと並ぶサイテー映画の帝王にして『女囚脱獄・鎖なき欲望のままに』(74)などのセックスプロイテーション映画の巨匠A・C・スティーヴン。撮影は、後に『ドーベルマン・ギャング』(73)、『悪魔の沼』(76)などを手掛けるロバート・カラミコ。音楽は『ザ・ブラック・クランズマン』(66)、『雨のロスアンゼルス』(75)のハイメ・メンドーサ=ナヴァ。また、『人間ミンチ』(72)、『ミミズバーガー』(75)などでマニアには知られるカルト監督テッド・V・マイクルズが照明と撮影助手で参加している。
出演は、死霊たちの盆踊りを仕切る夜の帝王に『プラン9・フロム・アウタースペース』のクリスウェル。ベリーダンスの女王パット・バリンジャーが死霊に拉致されるヒロインと金粉ダンサーの二役を演じるのをはじめ、当時の売れっ子トップレス・ダンサーやセクシー女優たちが様々なダンスを繰り広げる。

日本ではビデオバブル期の87年に初めて劇場公開され、監督のスティーヴンも初来日。その後ビデオが発売されたが、その邦題が大きな話題となって数多くのメディアに取り上げられ、マニアックなカルト・ムービーとなって今も根強い人気を誇っている。
なお、本作はこれまでスタンダード・サイズでの上映およびビデオ、DVD発売されてきたが、今回は撮影監督ロバート・カラミコが設計した正式な上映サイズであるアストラヴィジョン(アメリカン・ビスタサイズと同じ1:1.85)でのHDリマスター版による日本初DCP上映となる。



(物語)

満月の夜。人気のない荒れ果てた墓地。黒衣の男が棺桶の中から目覚める。男は夜の帝王クリスウェル。クリスウェルは闇の女王に命じて、不幸な死を遂げた女たちの浮ばれない霊を呼び出し、死者たちの饗宴を開こうとしていた。
「今宵の宴に私が満足せねば、彼女らの魂を永遠に地獄に突き落とす」
そして、蘇った女たちの霊は、豊満な肉体を揺らしながら墓場でヌードになり、踊り狂うのだった。

ホラー小説家のボブは小説のインスピレーションを得ようと恋人のシャーリーを連れて、郊外の墓場まで夜のドライブをしていた。だが、ボブの車は突如不思議な力を受けてハンドル操作が効かなくなり、横転事故を起こしてしまう。
ボブとシャーリーが意識を取り戻したとき、二人は墓場の傍らに横たわっていた。すると、墓場の方から何か人の声がするのだった…。
やがてボブとシャーリーは、夜の帝王の下僕であるミイラ男と狼男に捕まって囚われの身となり、墓石に縛り付けられて死霊たちの裸踊りを延々と見せられることになる…。



(スタッフ)

製作・監督:A・C・スティーヴン
A.C.Stephen
1928年2月25日、ブルガリアのブルガス生まれ。本名スティーヴン・C・アポストロフ。第二次大戦後、共産主義化するブルガリアを脱出し、トルコ、フランス、カナダを経て52年にアメリカのロサンゼルスに渡り、バンク・オブ・アメリカに就職した。経理関係の仕事で20世紀フォックスの製作部に出入りすることになって映画業界と関係が出来ると、57年に彼のブルガリアからの脱出をベースにした“JOURNEY TO FREEDOM”の原作を書き、プロデュース。同作はエド・ウッド作品のウィリアム・C・トンプソンが撮影し、トー・ジョンソンが出演した。65年にエド・ウッドの原作、脚本による『死霊の盆踊り』を製作、監督。その後、“SUBURBIA CONFIDENTIAL”(66)、“THE BACHELOR’S DREAMS”(67)、“OFFICE LOVE-IN, WHITE-COLLAR STYLE”(68)、“COLLEGE GIRL CONFIDENTIAL”(68)、“LADY GODIVA RIDES”(69)、“MOTEL CONFIDENTIAL”(69)、『多淫マダム』(69)などのセックスプロイテーション映画を連作、70年代に入るとエド・ウッドの脚本による『ポルノ同窓会/輪獣』(72)、『淫欲(秘)地帯』(72)、『陰熟ブルーSEX/ホステス絶頂篇・若妻恍惚篇』(“THE COCKTAIL HOSTESSES”(73)と“DROP OUT WIFE”(72)の2本の編集版)、『女囚脱獄・鎖なき欲望のままに』(74・TV放映)、“THE BEACH BUNNIES”(76)を発表、日本ではハードコア・ポルノとして売られた作品も多いがそれらはポルノではあったがソフトコアだった。最後の監督作は77年のセクシー・コメディ“HOT ICE”。晩年は知り合いの海外セールス会社のセールスを手伝っていたが、80年代後半に彼の監督作品の多くがビデオ化されカルト・ムービーとなったことから、<史上最低映画監督>エド・ウッドと並ぶ<セックスプロテーションの巨匠>として再注目されるようになり、エド・ウッドの晩年の生証人として数多くのドキュメンタリーに出演。87年には『死霊の盆踊り』のキャンペーンで来日も果たした。2005年8月14日、アリゾナ州のメサで死去、享年77歳。2011年には彼の映画人生を描いたブルガリア、ドイツ合作のドキュメンタリー“DAD MADE DIRTY MOVIES”が製作された。

原作・脚本:エドワード・D・ウッド・Jr.
Edward D.Wood Jr.
1924年10月10日、ニューヨーク州ポーキプシー生まれ。ペンシルバニアに育ち、30~40年代はB級ウエスタンや漫画雑誌、ラジオドラマに熱中。ボーイスカウトに入り、11歳の頃から16ミリ映画を作っていた。17歳で海兵隊に入隊するも、42年、太平洋での戦闘中に負傷し除隊。戦後、旅芸人の一座に参加し、ロサンゼルスに進出したが、48年に製作、脚本、演出を手がけた演劇「THE CASUAL COMPANY」は酷評され、同年に製作開始したウエスタン映画“THE STREETS OF LAREDO”もラッシュを見たスポンサーが降りて未公開に終わる。やがてハリウッドでベラ・ルゴシと出会った彼は、彼のネームバリューを使ってスポンサーを見つけ、自ら脚本、主演を兼任した初監督作『グレンとグレンダ』(53)を完成させた。さらに『牢獄の罠』(54)、『怪物の花嫁』(55)と立続けに製作するがヒットには至らず、56年に製作開始した『プラン9・フロム・アウタースペース』も完成から公開までに3年近くを費やし、ほとんど利益を生まなかった。その後も彼の映画への情熱は冷めることなく、短編、中篇、長編と映画を撮り、脚本を書き続けたが、彼の映画が注目されることはなかった。晩年はアダルト雑誌にポルノ小説を書いて生計を立てていたが、78年12月10日、ノース・ハリウッドで心臓麻痺のため死去した。享年54歳。彼の映画は権利を買い叩かれ、深夜放送のテレビで度々放映されていたことからカルト的な人気が出始め、80年にメドヴェッド兄弟が書いた書籍「THE GOLDEN TURKY AWARDS」の中で彼が“映画史上最悪の映画監督”、『プラン9・フロム・アウタースペース』が“映画史上最低の映画”に選ばれたことから、再評価が始まって数多くの作品がビデオ化され、92年にはルドルフ・グレイによる伝記「エド・ウッド 史上最低の映画監督」が出版されてエド・ウッドの名前は国際的なものになっていった。さらにティム・バートンがタッチストーン(ウォルト・ディズニー)の製作、ジョニー・デップ主演の『エド・ウッド』(94)を監督したことでブームは最高潮に達し、日本でも95年9月の『エド・ウッド』公開に併せ、8月に『プラン9・フロム・アウタースペース』『グレンとグレンダ』『怪物の花嫁』の3本が劇場公開された。彼の人気はその後も衰えることなく、多くの映画ファンに愛され、多くの映画監督を勇気づけ、また『クレイジー・ナッツ 早く起きてよ』(98)など、数々の未映像化脚本が映像化され、人気作がリメイクされ、未公開に終わっていた作品が発掘されてビデオ化されている。

撮影:ロバート・カラミコ
Robert Caramico
1932年12月10日生まれ。『死霊の盆踊り』で撮影監督となり、その後『ザ・ブラック・クランズマン』(66・未)、『タイム・トラベル』(67・未)、『吸盤男オクトマン』(71・未)、『ドーベルマン・ギャング』(73)、『ドーベルマン・ギャング2』(73)、『ブラッケンシュタイン』(73・未)、『レモーラ』(73・未)、『悪魔の沼』(76)、『爆裂探偵・クラウダー/地獄の依頼人』(76・未)、『人喰い半魚人』(77・未)、『バトル・サバイバー』(87・未)、『SF異星獣ガー』(95・未)などの撮影を担当。1997年10月18日死去。本作撮影後、一時期パット・バリンジャーと結婚していたことがある。

音楽:ハイメ・メンドーサ・ナヴァ
Jaime Mendoza-Nava
1925年12月1日、ボリビア生まれ。60年代前半から数多くの映画音楽を手掛けてきた音楽家。担当した作品には『肉弾最前線』(63)、『ザ・ブラック・クランズマン』(66・未)、『恐怖の館』(72・未)、『雨のロサンゼルス』(75)、『ヤング・ソルジャー 米海兵隊員/青春の記録』(77・未)、『バトル・オブ・ザ・バイキング』(78・未)、『お色気吸血鬼』(78・未)などがある。2005年5月31日死去。



(キャスト)

クリスウェル(夜の帝王)
Criswell
1907年8月18日、インディアナ州プリンストン生まれ。50年代にラジオのアナウンサー、ニュースキャスターとしてキャリアをスタートさせ、ロサンゼルスのTV局KLACでキャスターとなったが、番組中に話した予言が偶然的中して話題となり、53年には番組内に「クリスウェルの大予言」という5分のコーナーが出来て預言者“アメージング・クリスウェル”と呼ばれて人気を博した。56年、エド・ウッドはクリスウェルの人気を映画に取り入れようと、預言者キャラそのままで『プラン9・フロム・アウタースペース』の語り部に起用したが映画は59年にようやく公開、59年に出演した同じくエド・ウッド監督の“NIGHT OF THE GHOULS”は87年にようやく陽の目をみた。65年には、エド・ウッド脚本の『死霊の盆踊り』で“アメージング・クリスウェル”のキャラそのままで夜の帝王を演じた。後年、ジョニー・カーソンが司会する「THE TONIGHT SHOW」にはゲストとして度々招かれた。1982年10月4日カリフォルニア州バーバンクで死去。享年75歳。

ファウン・シルバー(闇の女王)
Fawn Silver
本作で闇の女王を演じた彼女は、“UNKISSED BRIDE”(66)、“TERROR IN THE HUNGLE”(68)、“LEGEND OF HORROR”(72)などの低予算映画に出演した。

パット・バリンジャー(シャーリー/黄金ダンサー)
Pat Barringer
1939年10月16日、ノースカロライナ州シャーロット生まれ。62年にロサンゼルスのナイトクラブでダンサーの仕事を得る。65年に『死霊の盆踊り』で映画初出演を果たして強烈な印象を残した後、ラス・メイヤー監督の『モンド・トップレス』(66)など、低予算のセックスプロテーション映画に数多く出演。「0011ナポレオン・ソロ」の1話にもダンサー役で出演した。“THE AGONY OF LOVE”(66)では主演を果たし、『赤毛のめすカマキリ』(69)は日本公開もされている。またブルース・リーが出演したハリウッド映画『かわいい女』(69)にもベリー・ダンサー役で出演している。パット・バリンジャーよりもパット・バリントンの芸名がより有名で、カミール・グラントの名義でクレジットされている作品もある。2014年9月1日、フロリダで死去。享年74歳。本作の撮影後、撮影監督のロバート・カラミコと一時期結婚していた。








2020年1月11日(土)よりシネマカリテほか、全国にて順次ロードショー!

『プラン9・フロム・アウタースペース』総天然色版 ©Legend films.


<スタッフ>
製作・監督・脚本・編集:エドワード・D・ウッド・Jr 
製作総指揮:J・エドワード・レイノルズ
共同製作:ヒュー・トーマス・Jr.
チャールズ・バーグ
撮影:ウィリム・C・トンプソン 
音楽監修:ゴードン・ザーラー 
特殊効果:チャールズ・ダンカン
美術:トム・ケンプ
衣装:ディック・チャーニー
メイクアップ:トム・バーソロミュー

<キャスト>
クリスウェル     クリスウェル
クレイ警部      トー・ジョンソン
ヴァンパイラ     ヴァンパイラ
老人         ベラ・ルゴシ
ジェフ・トレント   グレゴリー・ウォルコット
ポーラ・トレント   モナ・マッキノン
エドワーズ大佐    トム・キーン
ハーパー警部補    デューク・ムーア
イロス        ダドリー・マンラブ
タナ         ジョアンナ・リー
支配者        ジョン・ブレッキンリッジ
ロバーツ将軍     ライル・タルボット
ラリー巡査      カール・アンソニー
ケルトン巡査     ポール・マルコ

レイノルズ・ピクチャーズ製作 カラー版製作:レジェンド・フィルムズ
原題:PLAN9 FROM OUTERSPACE IN COLOR
<1959&2006年・アメリカ映画/英語/カラー/ビスタサイズ(1:1.85)/79分/日本語版字幕:江戸木純/映倫指定区分G> 
提供:ポニーキャニオン+エデン 配給:エデン
©Legend films. www.eden-entertainment.jp/saitei2020/

©Legend films.



(解説)

全米各地にUFO襲来! そして墓場から死者が次々と蘇った。これは侵略か? それとも…? いま、宇宙全体を破壊しかねない愚かな地球人を震え上がらせるため、外宇宙からの最終手段<第9計画>が開始された。果たして人類に打つ手はあるのか!?

とてつもなくバカバカしく、説得力皆無の珍妙なストーリー、大仰で意味不明なセリフの数々、台本棒読みのダイコン演技、ダサい衣装と学芸会のようなセット、そして哀しいくらいにチープ過ぎる特撮…。芸術的凡庸さのスペクタクルに、バカと間抜けのオンパレード!すべてがヒド過ぎて、こんなに面白く、愛おしい。
1980年に出版された「ゴールデン・ターキー・アワード」で、見事“映画史上最低の作品”に選ばれ、さらに監督のエド・ウッドことエドワード・D・ウッド・Jrが、“映画史上最低の監督”に選ばれるというダブル受賞を果たして、その名を世界に知らしめた<キング・オブ・サイテー映画>。
ティム・バートン監督の『エド・ウッド』(94)でも、その誕生過程が笑いと涙で描かれるなど、 エド・ウッド自身が「これぞ私の誇りと喜び」と語った彼の代表作にして、史上最低映画監督の最高傑作が、製作から60年、HDカラライズドによる鮮やかな“総天然色版”となって蘇り、日本初上映!

製作、監督、脚本、編集はもちろんエドワード・D・ウッド・Jr。撮影は『グレンとグレンダ』(53)、『怪物の花嫁』(55)など、エド・ウッド作品を数多く手掛けたウィリアム・C・トンプソン。音楽監修は『ショック集団』(63)のゴードン・ザーラー。但し彼は1曲もこの映画のための作曲は行わず、自らが管理していたライブラリーから様々な既成曲を選曲して使用した。ルドルフ・グレイの自伝本「エド・ウッド 史上最低の映画監督」では、メイン・タイトルの曲がロシアの作曲家アレクサンドル・モソロフの「鉄工場」と記載されており、多くの資料がそれに従ってきたが、それは間違いで、イギリスの作曲家トレヴァー・ダンカン作曲の“Grip of the Law”という曲である。

出演は、これが遺作となった『魔人ドラキュラ』(31)などで知られるホラー界のレジェンド、ベラ・ルゴシ。遺作といっても生前別の映画のために撮影されたフィルムを流用し、それ以外のシーンはベールで顔を隠した別人が演じた。パイロットのジェフを演じるグレゴリー・ウォルコットは、当時メジャー作品に数多く出演していた売れっ子で、この映画の後も『サンダーボルト』(73)、『アイガー・サンクション』(75)、『ミッドウェイ』(76)などに出演、ティム・バートン監督の『エド・ウッド』にも特別出演している。他に『怪物の花嫁』などエド・ウッド映画の常連で、元プロレスラーの巨漢トー・ジョンソン。TV番組でホラー映画のホスト役として人気を呼んだヴァンパイラ。『死霊の盆踊り』(65)でも知られるTV預言者クリスウェルなどが、笑激の怪演を繰り広げる。また、エド・ウッド自身もハリウッド大通りで新聞を広げる男の役で出演している。

本作は1956年に撮影され、57年に完成披露試写と著作権登録が行われたが、その際の題名は“GRAVE ROBBERS FROM OUTER SPACE”だった。その後、しばらく配給会社が決まらなかったが、“PLAN9 FROM OUTER SPACE”と改題されて57年7月に正式に劇場公開された。本作の製作年度を56年とする説もあるが、imdbはじめ各国の映画データベースは現在、改題後正式公開の59年とすることが一般的となっているため、今回の公開に際しての資料では1959年作品として統一表記している。
また、本作はスタンダード・サイズで撮影されており、95年のオリジナル・モノクロ版公開時の上映やビデオ発売もすべてスタンダード・サイズで行われてきたが、製作時に撮影監督が設計した本来の上映サイズは1:1.85のアメリカン・ビスタサイズであるため、今回は日本で初めてビスタサイズでのDCP上映が行われる。



(物語)

ロサンゼルス郊外の墓地である女性の葬儀が行われ、突然妻を失った老人が悲しみに暮れていた。葬儀が終わり、2人の墓堀人が墓穴を掘ろうとしていたとき、突然眩い光と突風と共にUFOが飛来して墓堀人は吹き飛ばされた。墓堀人が帰ろうとしたとき、彼らの前に死んだはずの女が蘇り、墓堀人に襲いかかった。
一方、パイロット、ジェフ・トレントはロサンゼルスへのフライト中にUFOを目撃する。彼はそれを上司に報告するが、すぐに軍部が駆けつけ、UFOの目撃を口外しないように命令するのだった。

妻を失った老人は失意のまま町を歩いていて交通事故に遭い、妻の後を追うことになった。老人の葬儀の日、会葬者は変わり果てた墓堀人の死体を発見する。
警察がすぐに現場に急行し、捜査が開始された。捜査の責任者クレイ警部は被害者の遺体収容を部下に任せ、一人で墓場を捜索するが、そこにゾンビと化した老人とその妻が現れ、クレイ警部も殺害されてしまう。

やがて全米各地でUFOが目撃される。米軍は戦闘態勢に入り、指揮をとるエドワーズ大佐はついにロケット砲による攻撃命令を下した。激しい攻撃を受け、UFOは飛び去っていたが、エドワーズ大佐はUFOの次の攻撃を憂慮するのだった。

UFOの正体は宇宙皇帝の命を受けてやってきた宇宙戦士イロス率いる円盤部隊だった。彼らは侵略のためにやってきたのではなく、地球人が殺し合いを続け、武器開発をエスカレートさせることにより全宇宙を破壊しかねないことを友好的に警告しにやってきた。
宇宙人は合衆国政府にコンタクトを試みるが、軍上層部は平和のメッセージが理解できずに拒絶、逆に円盤を攻撃してしまったのだった。宇宙人は仕方なく、墓場に眠る死者を蘇らせて人間を驚かせ、地球を征服する<第9計画>を発動する。

エドワーズ大佐は事件の調査と宇宙人との交渉を命じられ、クレイ警部の後を引き継いだハーパー警部補、パイロットのジェフらと協力して捜査を開始、やがてハリウッド郊外の墓地に着陸しているUFOを発見し、内部に潜入するが…。

果たして人類は、かつて体験したこともない恐怖に満ちた、恐るべき<第9計画>を阻止することが出来るのだろうか?



(スタッフ)

製作・監督・脚本・編集:エドワード・D・ウッド・Jr
Edward D.Wood Jr.
1924年10月10日、ニューヨーク州ポーキプシー生まれ。ペンシルバニアに育ち、30~40年代はB級ウエスタンや漫画雑誌、ラジオドラマに熱中。ボーイスカウトに入り、11歳の頃から16ミリ映画を作っていた。17歳で海兵隊に入隊するも、42年、太平洋での戦闘中に負傷し除隊。戦後、旅芸人の一座に参加し、ロサンゼルスに進出したが、48年に製作、脚本、演出を手がけた演劇「THE CASUAL COMPANY」は酷評され、同年に製作開始したウエスタン映画“THE STREETS OF LAREDO”もラッシュを見たスポンサーが降りて未公開に終わる。やがてハリウッドでベラ・ルゴシと出会った彼は、彼のネームバリューを使ってスポンサーを見つけ、自ら脚本、主演を兼任した初監督作『グレンとグレンダ』(53)を完成させた。さらに『牢獄の罠』(54)、『怪物の花嫁』(55)と立続けに製作するがヒットには至らず、56年に製作開始した『プラン9・フロム・アウタースペース』も完成から公開までに3年近くを費やし、ほとんど利益を生まなかった。その後も彼の映画への情熱は冷めることなく、短編、中篇、長編と映画を撮り、脚本を書き続けたが、彼の映画が注目されることはなかった。晩年はアダルト雑誌にポルノ小説を書いて生計を立てていたが、78年12月10日、ノース・ハリウッドで心臓麻痺のため死去した。享年54歳。彼の映画は権利を買い叩かれ、深夜放送のテレビで度々放映されていたことからカルト的な人気が出始め、80年にメドヴェッド兄弟が書いた書籍「THE GOLDEN TURKY AWARDS」の中で彼が“映画史上最悪の映画監督”、『プラン9・フロム・アウタースペース』が“映画史上最低の映画”に選ばれたことから、再評価が始まって数多くの作品がビデオ化され、92年にはルドルフ・グレイによる伝記「エド・ウッド 史上最低の映画監督」が出版されてエド・ウッドの名前は国際的なものになっていった。さらにティム・バートンがタッチストーン(ウォルト・ディズニー)の製作、ジョニー・デップ主演の『エド・ウッド』(94)を監督したことでブームは最高潮に達し、日本でも95年9月の『エド・ウッド』公開に併せ、8月に『プラン9・フロム・アウタースペース』『グレンとグレンダ』『怪物の花嫁』の3本が劇場公開された。彼の人気はその後も衰えることなく、多くの映画ファンに愛され、多くの映画監督を勇気づけ、また『クレイジー・ナッツ 早く起きてよ』(98)など、数々の未映像化脚本が映像化され、人気作がリメイクされ、未公開に終わっていた作品が発掘されてビデオ化されている。

撮影:ウィリム・C・トンプソン
William C.Thompson
1889年3月30日、ニュージャージー州生まれ。1910年に映画界入りし、14年の“ABSINTHE”で撮影を担当以来、『国難(国の滅亡)』(16)、『女ターザン』(20)、『マニアック』(34・未)、『極北の怒り』(49)など数多くの作品を手掛ける。エド・ウッド作品は初監督作『グレンとグレンダ』(53)にはじまり、『牢獄の罠』(54)、『怪物の花嫁』(55)、『プラン9 フロム・アウタースペース』(59)、“NIGHT OF THE GHOULS”(58撮影、84公開)、“THE SINISTERT URGE”(60)の長編7作中6作品を担当。その他の作品には『恐怖の足跡 ビギニング』(55・未)、『女宇宙怪人OX』(58・未)、エド・ウッドが脚本を担当した“THE VIOLENT YEARS”(56)、A.C.スティーヴンが製作した“JOURNEY TO FREEDOM”(57)などがある。1963年10月22日、ロサンゼルスで死去。享年74歳。



(キャスト)

グレゴリー・ウォルコット(ジェフ・トレント)
GREGORY WALCOTT
1928年1月13日、ノースカロライナ州ウェンデル生まれ。第二次大戦と朝鮮戦争に陸軍で従軍。52年に『赤い空』で映画デビュー後、『壮烈第一海兵隊・向う見ず海兵隊』(52)、『決戦攻撃命令』(52)、『愛欲と戦場』(55)、『荒野の貴婦人』(55)、『ミスタア・ロバーツ』(55)、『軍法会議』(55)、『スカートをはいた中尉さん』(56)、『早射ち二連銃』(56)
など、数多くのメジャー製作の戦争映画や西部劇に端役で出演。そんなとき、通っていたバプティスト教会の関係者が出資した『プラン9・フロム・アウタースペース』への主演を依頼される。その後も数々の作品に出演、『硫黄島の英雄』(61)あたりから大きな役を演じるようになり、TVドラマにも数多く出演する。70年代は『シノーラ』(72)、『サンダーボルト』(74)、『アイガー・サンクション』(75)、『ダーティファイター』(78)とクリント・イーストウッド主演作に続けて出演、テレンス・ヒルと共演したマカロニ・ウエスタン『自転車紳士西部を行く』(73・未)では準主演、他にも『ブラック・エース』(71)『ラスト・アメリカン・ヒーロー』(73)『続・激突!/カージャック』(74)『ミッドウェイ』(76)『ノーマ・レイ』(79)『タイム・トラぶラー』(87)などに出演。特別出演したティム・バートン監督の『エド・ウッド』(94)が遺作となった。2015年5月20日、ロサンゼルスで死去。享年87歳。

クリスウェル(預言者クリスウェル)
Criswell
1907年8月18日、インディアナ州プリンストン生まれ。50年代にラジオのアナウンサー、キャスターとしてキャリアをスタートさせ、ロサンゼルスのTV局KLACでキャスターとなったが、番組中に話した予言が偶然的中して話題となり、53年には番組内に「クリスウェルの大予言」という5分のコーナーが出来て預言者“アメージング・クリスウェル”と呼ばれて人気を博した。56年、エド・ウッドはクリスウェルの人気を映画に取り入れようと、預言者キャラそのままで『プラン9・フロム・アウタースペース』の語り部に起用したが映画は59年にようやく公開、59年に出演した同じくエド・ウッド監督の“NIGHT OF THE GHOULS”は87年にようやく陽の目をみた。65年には、エド・ウッド脚本の『死霊の盆踊り』で“アメージング・クリスウェル”のキャラそのままで夜の帝王を演じた。後年、ジョニー・カーソンが司会する「THE TONIGHT SHOW」にはゲストとして度々招かれた。1982年10月4日、カリフォルニア州バーバンクで死去。享年75歳。

トー・ジョンソン(クレイ警部)
TOR JOHNSON
1903年10月19日、スウェーデン生まれ。アメリカに移住し、プロレスラーとなって30年代からリングに断っていた。映画デビューは34年の“REGIDTERED NURSE”。
『影なき男の影』(41)。ラオール・ウォルシュ監督『鉄腕ジム』(42)、『幽霊は臆病者』(44)、
『南米珍道中』(47)、『愛の立候補宣言』(48・未)、『閉ざされた扉の陰』(48・未)、『猛獣と令嬢』(50)、『凸凹外人部隊』(50)、『腰抜けペテン師』(51・未)、『魔術の恋』(53)、『お若いデス』(55)、『回転木馬』(55)、『悪魔の生体実験』(56・未)、“JOURNEY TO FREEDOM”(57)など数多くの映画やTVシリーズに出演したが、その多くは脇役の“大男”か“プロレスラー”役でクレジットされていない作品も多い。エド・ウッド作品には『怪物の花嫁』(55)、『プラン9 フロム・アウタースペース』(56撮影、59公開)、“NIGHT OF THE GHOULS”(58撮影、84公開)の3本で準主役級で強烈な印象を残し、彼の決定的代表作となっている。1971年5月12日、サンフェルナンドで死去。享年67歳。

ヴァンパイラ(老人の妻)
VAMPIRA
1922年12月11日、フィンランド生まれ。本名:マイラ・ヌルミ。幼い頃に家族と共にアメリカに渡りオハイオとオレゴンで育つ。女優を目指してロサンゼルス移住し、演技を学んだ。47年に“IT WINTER COMES”の端役で映画デビュー。『洋上のロマンス』(48未)などに出演するが女優としては芽が出ず、52年にTV番組内でホラー・キャラクター“ヴァンパイラ”を確立し、ホラー映画の解説などで人気となり、54年には冠番組「THE VAMPIRA SHOW」も作られた。56年に“ヴァンパイラ”として映画初出演した『プラン9 フロム・アウタースペース』は59年まで公開されなかったが、その後も『悪いやつ』(59)、『私刑(リンチ)街』(59)などに出演、『魔法の剣』(61)にはマイラ・ヌルミとして出演。98年にはエド・ウッドの脚本を映画化した『クレイジー・ナッツ 早く起きてよ』にも出演した。2008年1月10日、ロサンゼルスで死去。享年85歳。

ベラ・ルゴシ(妻を失った老人)
BELA LUGOSI
1882年10月20日、ハンガリー生まれ。1917年から19年の間、オルト・アリステイドの芸名で13本のハンガリー映画に出演。その後、19年から22年の間はドイツ映画界で活躍して18本に出演。21年に船員としてアメリカに渡り、米国籍を取得。23年の“THE SILENT COMMAND”からアメリカ映画にも出演するようになる。31年に出演したユニバーサル映画『魔人ドラキュラ』が大当たりして怪奇映画のトップスターとして数多くの作品に出演することになった。私生活では4度の離婚を経験、晩年は借金と薬物中毒に苦しんでいた。そんなとき出会ったのがエド・ウッドで『グレンとグレンダ』(53)、『怪物の花嫁』(55)に出演、次の作品の撮影を始めた直後の1956年8月16日に73歳で死去した。エド・ウッドはそのフィルムを使い、ルゴシの遺作として『プラン9・フロム・アウタースペース』(59)を完成させた。
出演作には他に、『モルグ街の殺人』(32)、『恐怖城』(32)、『獣人島』(32)、『黒猫』(34)、『大鴉』(35)、『古城の妖鬼』(35)、『透明光線』(35)、『ニノチカ』(39)、『フランケンシュタインの復活』(39)、『デビル・バット』(40・未)、『ベラ・ルゴシの幽霊の館』(41)、『狼男』(41)、『フランケンシュタインの幽霊』(42)、『消える死体』(42・未)、『ベラ・ルゴシの猿の怪人』(43)、『フランケンシュタインと狼男』(43・未)、『吸血鬼蘇る』(43・未)、『エイプマンの復讐』(44・未)、『ブードゥーマン』(44・未)、『奇妙な遺言状』(44・未)、『死体を売る男』(45)、『死体の告白』(47・未)、『凸凹フランケンシュタインの巻』(52・未)、『悪魔の生体実験』(56・未)などがある。





     

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